モラル・ハラスメント(モラハラ)という言葉

「モラル・ハラスメント」(モラハラ)という言葉が、かつての「セクハラ」のような誤解と偏見をはらんで広がろうとしています。

私がここでどんなにもどかしい思いで、一生懸命言葉を発しても、広まってしまった誤解や偏見を修正する力など全くない。

けれども、私の発する言葉(情報)を必要とする人には、きっと届くだろうことを祈って、私は私の場所で、語り続けようと思います。

それは、拙著でも随所にその問題意識を記しましたが、「モラル・ハラスメント」という言葉に囚われないでほしい、ということ。

モラル・ハラスメントという言葉は、何とも言葉にしようのなかった苦しみに、明確なかたちを与えてくれます。それが「暴力」なんだということを、気づかせてくれます。

この辛さは、自分が悪いからでも、弱いからでも、至らないからでもない、被害妄想でもない、相手は正しいことをしているのではない、理不尽な暴力を振るっているだけなんだ、ということ。だから辛くてあたりまえなんだということ、そして、そこから逃げてもいいんだ、ということを、この言葉は教えてくれます。

この「気づき」の後には、加害者との対処の仕方を考える重要な指針を与えてくれます。

加害者には、独特の思考パターン・行動パターンがあります。

独特のパーソナリティといってもいいでしょう。

それは、あなた自身が相手との生活の中で、嫌というほど骨身にたたき込まれたことでしょう。

相手の支配下にいたときには、それがあたりまえだとか普通だとか思いこんでいたであろう、その異常な思考・行動パターンを、異常なんだとはっきり認識した上で、冷静に整理して、頭の中にしっかり入れておく。

それは、別居の方法やタイミングに始まり、今後の離婚紛争や子どもとの面会交流、離婚成立後にも起きてくるいろいろな問題への対処を考えたり見通しを立てるなど、今後この問題に対処するあらゆる場面で、最も重要な指針になります。

なにより、その中で絶え間なく加えられる有形無形の嫌がらせや攻撃(それはきっと、あなたにしかそれと分からないものも少なくないでしょう)から、自分の心を守るうえでも、大いに役に立ちます。いうならば、相手の嫌がらせの手口と手の内が分かっているということですから、以前ほど傷ついたり打撃を受けたりせずにやり過ごせる、精神的なゆとりができます。

あなたは、そこまでにしましょう。

ときに、相手の人格をもっと深く分析したり、非難したり報復したりしたくもなるでしょう。

それを全くするなとは言いません。

そういう時期もある。

でも、そこそこにしてください。

相手と決別すると決めたのなら、もう相手のことも考えない。しっかり前を向いて、自分たちの幸せのことだけを考えて、自分の人生を歩いていきましょう。しんどいときは、誰かの手を借りて。