憲法おばちゃん語訳、両性の平等・再婚禁止・離婚後300日規定

 

 

book1最後の3点め、これが本書で最も、というか唯一、残念でならない部分。両性の平等ということに関して、2つあります。

ひとつは、戦前の憲法下では、妻は「無能力」とされていた、ということの説明の部分。

「結婚するまでは父親の、結婚してからは夫のモノとされ」ていた、「今でいうたら、スーパーマーケットのポイントカードすらつくられへんみたいな感じ」というところです。(79ページ)

これは、ちょっと違います。

旧憲法の時代、結婚した女性が、たとえば家を買うとか、大きな借金をするとか、そういう重要な契約をするには、夫の許可が必要であった、ということはありました。

これは、「無能力」というよりも「制限能力」というべきもので、あらゆる契約ができないというのではなく、一定の重要な(言い換えれば、大きなお金のからむ)契約に限って、夫の許可が必要とされた、というものでした。今で言う、スーパーでの買い物やポイントカードのような日常的なものは、夫の許可は必要ではありません。(もちろん、こんな制度そのものが不当な男女差別であることはいうまでもありませんよ)

また、女性も成人していれば、結婚する前はこのような制限はなく、一人前の成人と扱われましたから、成人女性に関しては「結婚するまでは父親のモノ」というわけでもありません(それで結婚したとたん、「制限能力」とされたんです。おかしなハナシであることは間違いありません)

当然ながら、成人するまでは親の親権下にあることは、今も昔も男も女も同じこと。

未成年者は、基本的にはどんな契約をするにも親権者の同意が必要です。(でもポイントカードくらいは未成年者でも作れます)

繰り返しですが、成人の結婚した女性がこのように、夫に従属するみたいにされたことは、不合理きわまりない男女差別でした。

それはそのとおりなのですが、その説明の方法として、この本に記載されている上記の表現はいずれも、正確ではないといわなければなりません。

まあこれは、本論にはあまり関係のないことなのですが、やはりちょっと残念。

何より残念なのが次の点。

民法の、女性の「再婚禁止期間」と、「722条の嫡出推定」に関する部分(80ページ~)。

まず再婚禁止期間は「子どもができた場合に『この子誰の子?』っちゅう状況を避けるため」というのはそのとおりです。しかしこのことを、「父親が誰かわからんかったら、オトコはんが逃げるかもしれんってとこですわ」と言い換えて説明しているのは、ちょっと・・・、

どういうことかというと、この再婚禁止期間は次の「722条の嫡出推定」とワンセットなので、まず先にこちらについて説明しますね。

これは、細かいとこ端折りますが、「婚姻届が受理された日から200日以後、離婚届が受理された日から300日以内」に妻が妊娠したら、その子の父親は夫と「推定」する、という制度です。

この「推定」っていうのがちょっとわかりにくいんですが、簡単に言うと、その期間内に生まれた子の父親は、その子を産んだ母親の夫である!といったん決め打ってしまい、その事実をちょっとやそっとのことではひっくり返せない、という仕組みです。

ひっくり返すためには、その父親とされた人が、その子の出生を知ったときから1年以内に、裁判手続をして、自分が父でないということを証明しなければならないのです。

それ以外の方法はありません(その父とされた人が亡くなったなどの場合は別として)。

たとえば、その子が自分の子でないと知りながら何年もぐずぐず悩んでいたりしたら、もうその子の父という立場から逃げる術はないということです。男性にとっても少々酷な場合がありうる制度ですね(苦笑)

これが、ここでいう「推定」の意味。要は、その子の父という人を、法律でガチガチに固定するんです。

なんのためにそんな制度があるのかというと、それは子どものため、なんです。

子どもにとって、母親が誰かわからない、ということはありませんが(最近は「代理母」などの問題もありますが、まあそれはさておき)、父親が誰かわからない、ということは起きえますよね。だから、この人が誰であるかを、さっさと決めうち、それを容易なことでは動かせないようにするのです。

その人は、当然、子どもを扶養する義務を負います。

そのようにして、子どもの扶養義務者としての父をなるべく早くに確定し、安定させることで、子どもの利益を守ろう、というのが、この「嫡出推定」制度なのです。

つまり「嫡出推定」とは、そのネーミングからイメージするような、大時代な封建的な制度ではなくて、ましてや女性を差別するための制度でもなくて、子どもを守るための制度。

その制度設計はいろいろありうるけれど、日本の民法は、両親が結婚・離婚から一定期間内に生まれたという事実で線引きをする、という方法をとりました。

なぜなら、両親の結婚・離婚付近に生まれたのであれば、普通はその両親の子であることはほぼ間違いないだろうし、それが最もはっきりしていて、カンタンな方法だからです。はっきりしていてカンタン、ということは、父子関係をさっさと確定して安定させるために、いいことですよね。

他方、その期間を外れて生まれた子については、比較的容易に父子関係を否定することができます。

典型的には、いわゆる「でき婚」の場合。その場合はたいがい結婚後200日「以内」に子どもが生まれているでしょうから。

この本で例に挙げられている喜多嶋舞・大沢樹夫元夫婦のケースもそうです。婚姻届を出した時点で喜多嶋さんは妊娠3か月くらいだったそうですから、それから200日以内に子どもは生まれているはず。ですから722条とは関係なく、父子関係を否定できます。

ともあれ、たしかにこの、「結婚後200日以後、離婚後300日以内」という期間は、民法制定当時の医療レベルがベースになってるので、今の医療レベルには全く合いませんね。今は概ね22週くらいの早産であれば、子どもは無事に育つと言われていますから。

それにそもそも現実問題として、離婚後300日もたって子どもが生まれた場合、その前夫が父親である可能性って、普通どんだけあるの?というギモンも当然。このあたりの制度の作り方も、たしかに時代がかったものを感じますね。

ですからその期間をもっと短縮すべきだ、という議論は大いにあり得るでしょう。

また、子どもを保護するための制度なんだったら、少なくともその子自身にも、「この人は父でない」という裁判を起こす権利がなきゃおかしい、というのも同様。

でも、それはあくまでも具体的な制度設計の問題であって、この制度そのものが悪者なのではない、女性を差別するための法律ではない、ということは、わかっていただきたいと思います。

そこで、出てくる問題が、最近折々騒がれる「無戸籍」問題の原因になっているという、「離婚成立後300日以内」に生まれた子が、前夫の子とされてしまう、という問題。

DVなどで離婚紛争が長引き、その間に新たなパートナーを得て子どもを授かった場合、やっと離婚できたのにその子は前夫(DV加害者)の戸籍に入れられてしまう。それを避けるためには前夫に裁判を起こしてもらわなければならない。それはとても無理、ということで、「無戸籍児」が生まれています。

たしかに、これは問題です。でも、これについては、別の裁判手続によって、多くの場合はなんとかなるんです。また、法律の運用レベルの工夫でも、なんとかなる。ここではその詳細は割愛しますが、いずれ取り上げたいと思っています。また、拙著『モラル・ハラスメント こころのDVを乗り越える』252ページ~のコラムでも少し触れていますので、関心のある方はぜひご覧ください。

というところで、「再婚禁止期間」に戻りますが、もしも離婚後すぐに女性が別の男性と結婚して、「前の夫との離婚後300日以内」で、かつ「今の夫との結婚後200日以後」に子どもが生まれた場合、両方の夫の子と「推定」される、ということが起きてしまいます。これはまずいだろうということで、その「推定」が重なる期間は再婚できない、としたわけです。

あれ?重なる期間て、100日だけじゃない?

そう、それはそのとおりなんです。ですからずいぶん前から100日に短縮すべきだという意見は出ています。

昔のことだから、念のため?適当に?多めにとって、6か月≒180日にしたみたいですね。

このように、期間の長短だけをとっても、制度の作り方については、問題はたくさんあります。しかも、今の技術なら父親が誰なのか容易に確定できるわけだし、それからこの本でも指摘されているように妊娠可能な年齢でない女性についてはどうなんだ?という問題もある(女性の熟年婚はありえないって、これもやっぱり100年前の意識?)。

そういう、中身の作り方の部分は大いに考え直されるべきですが、制度そのものが、女性を差別するためにあるのではない、つまり、憲法の「両性の平等」との関係で問題にされるようなことではない、ということは、どうかわかってくださいね。

だから、これはあまり触れられることがないんですが、実は「再婚禁止期間6か月」には、いうならば「ただし、」が付いていて、その女性が離婚前から妊娠していた場合、この6か月の間に出産したら、もうそのときから再婚できるんですよ。離婚から6か月経っていなくても。その子は生まれた時点で前夫の子と「推定」されますから、後の夫の子と「推定」が重なることはないからです。

このことからも、この「再婚禁止期間」が、「嫡出推定」が重なることを避けるための仕組み、ということがおわかりいただけると思います。

長くなってしまいましたが、以上の3点にだけ、注意していただいて、ぜひ「知憲」!

1人でも多くの方が憲法に関心を持って、この本を読んで正しく憲法を知ってくださいますように、願っています。