新学期、学校に行きたくない、学校がしんどい、学校に行くのが辛そう、という子どもたちのお父さん、お母さんへ

お願いします。子どもさんたちがそう言うなら、休ませてあげてください。

子どもさんたちはきっと、がまんにがまんを重ねた末に、ようやく、「行きたくない」と口にすることができたのではないでしょうか。

学校に行くのがとても辛いのにそう言わないのは、「言えない」からではないでしょうか。

親の立場からすると、さしたる理由も見当たらないまま学校を休むことを許したら「逃げ癖」がつく、「怠け癖」がつくと思って、無理にでも学校に行かせようとしてしまいがちです。

いいじゃありませんか、逃げ癖くらい。怠け癖がなんですか、子どもさんの命があって、心の健康を損なうことなく成長してくれるなら、それでいいじゃありませんか。

わたしはそんな「癖」よりもよっぽど、「がまん癖」が怖いのです。

どんなに辛くてもがまんしなければならないと刷り込まれてしまった子どもは、ほんとうに危険な状況に至っても、その危険を察知することができず、がまんをかさね、心身ともに限界に至ってしまうかもしれません。

そういう、大人になってしまうかもしれません。

行き着く先は、心の病気くらいならまだいい。
命が、失われてしまうかもしれない。

およそ人を、いじめ自殺、いじめがエスカレートした事故(事件)死、過労死、過労自死に至らせる大きな要因が、私はこの「がまん癖」にあるのではないかと思っています。

危険なところからは逃げる。これは、生き物としての本能です。
生きるための、大前提の必要不可欠な機能です。

「がまん癖」はこれを、弱らせます。
危険を察知する能力を鈍らせ、そこから逃げるという判断力を奪い、その機会を奪い、そして逃げる力そのものを弱らせます。

そもそも、子どもたちというのは、普通に学校へいって普通に生活しているだけで、いろんないろんな辛さやしんどさに耐えているものだと私は思います。
それはもう、大人が思う以上に。

そのがまんが限界だと、本人が言うなら、それが仮に大人の目から見て「まだまだ足りない」と思うようなものであっても、

その辛さの正体がよくわからなくても、

いじめなどわかりやすい原因がみつからなくても、

自分が子どものころはそんなの平気だったと思うようなものでも、

そんなことを辛いと思うような柔な神経では社会に出てから苦労するぞと思っても。

「その子は」、それまで、精一杯努力して、がまんしてきたのだと、親なら、思ってあげてもいいのではないでしょうか。

その子は、その子にとって、精一杯のがまんをしてきたことをまずは認め、休むことを、許してあげてください。

そうしたら、また元気に学校に行けるようになるかもしれません。
学校のなにが辛いのかをきちんと言葉にして親に伝え、これからのことを一緒に考えられるようになるかもしれません。

なにより、親は自分の気持ちをわかって(わかろうと)してくれる。
自分を、なにがあっても守ってくれる。

こういう確たる信頼と安心感を親が与えること、そのものが、必ず、子どもの「生きる力」になると私は信じています。